生きることのあらゆる苦しみというのは、期待することからやってきます。表現を変えれば、欲望とも言えます。
期待(欲望)すれば、そこからいくらでも地獄がやってくるし、それをなくせば今度は天国がやってくると言う寸法です。
ところがそれをなくすことが物凄く難しい。ほとんど不可能と言ってもいいのです。なぜなら、自我がそれを手放そうとはしないからです。
期待をしっかり握りしめたままで、周りを変えようとばかりするのです。たまに期待通りになることもあるので、次もやめられないのです。
全体は自我の期待など全く関知していません。我々がこうなって欲しいとどれほど願ったところで、それが聞き入れられる保証など皆無なのです。
それが分かっているはずなのに、やっぱり期待してしまうのです。このことからも、自我が決して満たされたいとは思っていないことが窺い知れますね。
自我はユートピアなど求めていないことは明白です。そのことをしっかり見抜くことが絶対的に必要です。
自我のやり口を見守ることができれば、それに飲み込まれずにいる方法も分かってきます。そして自我は見守られれば、エネルギーを失っていくのです。
逆に自我に乗っ取られてしまうと、自我は活性化していつまでも自分を苦しめ続けることになるのです。自我にとってはそれが安泰だからですね。
こうした仕組みを深く理解することができれば、自然と期待も自我も小さくなっていくことになるのです。