思考を見守る側になる

自然であるとは、あるがままでいるということ。あなたがAであるなら、決してBにはなれないし、なる必要もないと理解することです。

自然であるためには、どんな目標も持たないでいる必要があるのです。この社会で生きるためには、少々勇気がいるかも知れません。

けれども、目標を設定してしまえばその目標からそれないようにするために、不自然さが入り込んでくるのです。

理想は無目的ということですね。自然界にはどんな目的もないのです。社会の中では、最低限のルールを守ることは当然のことです。

ただし、内側では野生でいること。そして自由であるとは、自分を飼い慣らさないということ。自分に強いるのはいつもマインドです。

だから自由とはマインドから離れていることでもあるのです。マインドによって調教されてきてしまった人は、その不自由さがマインドからやってくることをしっかり認識することです。

マインドの組成である思考は、言語を生み出したことでより複雑な思考を使えるようになったのです。そのおかげでコミュニケーションができるようになったのです。

そういう意味では思考は便利なツールではあるのですが、その一方で暴力的な力であなたの人生を破壊することもできるのです。思考は毒薬です。

もしもあなたが思考を見守る側でいられるようになるなら、自ずと自然で自由な生き方になってしまうでしょうね。