全体へと溶けていく

自我というのは普通であることを嫌うものだということは、以前このブログで書いたことがあります。

普通というのは、多数派の中に潜り込んでしまい自分の存在が曖昧になってしまうのです。自我はそれを恐れて、極力その反対を目指すわけです。

つまり、自我の願いはいつも「特別でありたい」、これですね。特別であれば、自分の存在感がはっきりと際立つので安心できるのです。

特別であるためには、平均的なものではなくて、その反対である極端さを好むのです。できればポジテイブな方の極端を求める気持ちは分かります。

その特別さと関連して、他者と比較して自分の優越性を感じたり誇示することも、自我としては特に欲しているものですね。

ところがその優越性に目が眩んでいる自我は、必ずその反対の劣等生を受け取ることになるのです。その二つは二元性におけるペアだからです。

逆に言えば、劣等生を隠し持っているからこそ優越性を求めることになるのです。ここで仏陀の中道の格別の安定感を感じるなり想像するなりしてみて下さい。

両極端から最も遠い真ん中こそが本当の非二元の状態であり、究極の普通さはそこにこそあるのです。

ど真ん中の普通の状態、中立でいることで、自我はどうにももたなくなって全体へと溶けていく、そのイメージが大好きですね。