私たち人間が他のどの動物とも異なる凄いところは、自分とは何か?という問いを持つことができるところです。
その問いはどのようにして生まれるのかというと、当然のことですが「自覚」によってであることは間違いありません。
自覚というのは、自分という存在に気づいているということです。それを自我と呼んでいるのは周知の事実ですね。
その自我の自覚とは、意識が少しだけ目覚めているという言い方もできるのです。ただし、全意識のうちのほんの数パーセントだけ。
残りのほとんどの意識は無意識状態、つまりはぐっすり眠りこけているということです。この部分は他の動物と同じなのです。
自我が生まれる仕組みは、元々備わっていた能力によるものではあるのですが、ただそれだけでは決定的に足りないものがあるのです。
実は、自我を持っている親などに密着して育てられることでしか、自我は生まれては来れないということです。
では思い切り歴史を遡って、自我の始まりはどうだったのかを考えてみると、私の想像力を超えてしまうようで、思考停止が起きてしまいます。
いつもこのブログでは、自我がコテンパンにされているようなので、実は自我のおかげで自覚を持つこともできたし、意識も少しだけ覚醒できたということをお伝えして、自我の名誉挽回を試みました。