目に見えない精神は崇高なもので、物質的なカラダは低俗なものという考えは、とても馬鹿げたものだと気づかなければならないですね。
カラダを痛めつけて修行をする行者の姿をイメージできますが、それはあまりにも理不尽な感じがしてしまいます。
自分を生かすために、カラダが瞬間瞬間どれほどの過酷な仕事をし続けているのか、それをつぶさに見ることができたら、きっと圧倒されてしまうはず。
どれほど鈍感な人でも、感謝の念を禁じ得なくなってしまうでしょう。一つひとつの細胞の中に繰り広げられる奇跡の連続。
それを普段全く気づくことなく、当たり前のように生活してしまっているのです。そればかりか、精神のストレスをカラダに横流しまでしているのです。
精神的ストレスがカラダを無惨に痛めつけてしまうことは、薄々誰もが気づいていることでもあるのです。
例えば、ストレスは胃を収縮させてしまうばかりか、他の臓器にも多大な負荷を与えてしまうのです。ストレスは毒化してカラダ中を駆け巡るのです。
それは血管の中に入り込み、カラダはそれを体外へ出そうとあらゆる努力をしてくれます。肺からは咳によって、腸からは下痢によって、皮膚からは様々な炎症として。
可哀想な腎臓は普段の解毒仕事に加えて、その何倍もの負荷を与えられてしまうはず。それを考えたら、やはり瞑想することが大事かなと。
ストレスがやってくるのは仕方がないとしても、それをカラダにお願いするのではなく、精神のレベルで解放してあげることがとても大切なのでしょうね。