裁くマインドを使わない

この人間社会で暮らしていれば、必ず何が正しくて何が間違っているか、何が道徳的で何が非道徳的なのかと言ったことがやってきます。

もしかしたら、そんなことばかりを気にしながら生きている人だっているかもしれません。これに関しては、自我の一つの特徴でもあるのです。

自我がこうした考え方に依存してしまうのは、それを自己防衛として利用できるからなのです。自我の目的は自分を守りたい、安心したい、これだけです。

自分自身や他人の言動を見るにつけ、いつもそれは正しいことだ、それは間違ったことだとやっているのなら、防衛ど真ん中の人生だと気づくことです。

誰のマインドであれ、こうした傾向が大なり小なりあるのですが、大事なことはそれを優先的に考えるかどうかということです。

あの男性は可愛い子供が何人もいるのに、外に愛人を作っているのは人間として許されるものではないとか。

あの政治家は日本のことを考えずに、自分の私利私欲のために他国に我が国の情報を売っているような売国奴だとか。

善悪の判断によって、他人を裁く目的は単に防衛なのです。そのことに気づかなければ、自分は正しい判断をしているだけだとして、永久にこの防衛の人生から抜け出すことはできません。

善悪、正不正の判断をしなくなるなんてことは自我には土台無理なことです。けれども、その優先順位を下げる練習はできるはずなのです。

物事を裁くマインドを担ぎ上げないようにすることです。それがあってもそれを使わずにやり過ごすことができれば、人生の見え方が大きく変わってくるはずです。

正しさは、とても大事なことのように思えてしまったとしても、それは防衛が習慣化してしまっただけだと気づくことです。

本当に大切なことは、決して正しさなどではなく、気づくこと。深く気づくことができれば、やってきた甲斐があったというものですね。