自我から目覚めれば、愛しかない

愛の定義は難しいと思っている人もいるかもしれませんが、純粋な愛の定義は非常にシンプルで単純明快です。

それは、自分を明け渡すということ。個としての自分が全体の中へと溶けて消えていくこと。もっとシンプルに自分はいないということです。

自分が溶けて消えていくことを良しとするということは、個としての自分を守ろうとしないということを意味しますね。

つまりは、自我の最も得意とする自己防衛をしないということ。無防備ということです。別の言葉で表現するなら、無邪気と言ってもいいかもしれません。

だから幼い子供が無邪気でいるうちは、愛の塊として生きているということです。彼らにはまだ自我がしっかり出来上がっていないのですから。

結局、自我の本質は自分を守ろうとすることなので、自我には純粋な愛が理解できないのです。自我は愛を非常に恐れているとも言えます。

もしもあなたが自分の命を差し出して誰かを助けるとしたら、その時にはあなたの自我は一時的であれ消えている状態なのです。

誰もが本当の愛に憧れています。それが遠くにあるように感じるからですね。確かに自我からははるかに遠くにあって、決して手が届かないのです。

けれども、あなたのマインドのずっと深いところにあの無邪気な頃の小さなあなたが、今でも厳然と存在していて、それこそが愛であることを思い出せばいいのです。

私たちは決して自我そのものではないし、かつては愛として生きていた。それは単純な事実なのです。愛は遠いものではなく、とても身近なものだということですね。