「何も知らない」への帰還

「死んだら目が覚める」という言葉を、最近よく使うようになったからなのか、これまで以上にこの現実がまるで夢のような気がしてきています。

そして、死ななくても夢であることを知ることもできるのではないかと。それも別に特別な努力も必要なく、つまり労せずしてということです。

それはやはり夢は思考で作られていると感じるからです。夢を形作っている思考を緩めて、ゆっくりと思考の外に出ていくことで、現実を全く違った感覚で体験できるなと。

思考に対して夢を紡ぐことを許しているのは、他でもない自分自身なのだと。そしてその自分は、これまで培ってきたことを信じてやってきたのです。

これからの私たちは、何も信じない、あれもこれも誰かから聞いた話しであり、そうした薄っぺらな知識で満足するのを辞めること。

気前よく、そういった馬鹿げたものを手放してそこから自分を解放して、まっさらな状態、つまり自分は何も知らないというところへと戻るのです。

何も知らないという気持ちよさ、何も所有せず、裸一貫の自分自身でいることの清々しさを感じて、ただ在ることの中にくつろぐこと。

そうやって準備ができたものから順番に、私たちの本質から必要な情報が降りてきてくれて、新たな世界へと向かっていくような気がします。

お金の心配から離れて、ジタバタすることからも退き、時空を感じない今この瞬間にとどまることによって、それはやってきてくれるのかなと。