無理なく自我の不在に気づく

非二元に気づく以前の私の探究というのは、ひたすら自我が幻想であることを見抜くためのものでした。

手段はもっぱら瞑想に励むことでした。なぜなら、それ以外のどんな方法も思いつくことができなかったからです。

歴史上の覚醒者のほとんどが、瞑想や座禅によって悟りを開いたと聞いていたからですが、指導者不在の中での瞑想は遅々として進まなかったのです。

そして非二元の気づきらしきものがやってきたわけです。それは自我からの解放という目的とは異なるものでした。

自我の存在云々以前に、この世界の実体が存在しないということの気づきだったからです。こうした気づきを自我が邪魔をすることはなかったのですね。

だから自我のままで、十分に余裕を持って非二元の探究を進めて来れたのです。そして自分の中で、この世界の不在が定着して行ったのです。

そして、外側の世界が不在であることを通して、それなら内側の世界もあるはずがないという決定的なものが見えてきたのです。

自我でいながらにして、自我の不在を明確にすることができたのです。そして、外側も内側もない世界に残るものがあるのです。

それが体験であり現象だったのです。そしてそれは純粋な気づきでもあるということになったのですね。

ここへ来てようやく、ただ純粋な意識、気づきだけがあるというのが究極の事実であると言えるのでしょうね。

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