このブログでも以前から何度もお伝えしてきたことですが、与えると与えられるし、求めれば求め返されるということは事実だということを、自分なりにまた実感しています。
最近少しずつ、与えることによって与え返されるという経験が増えてきたように思います。与えると一口に言っても実際にはどういうことなのか、説明する必要があります。
それは、自分が心からそうしたいと望むことであるということが、絶対的な条件となります。勿論対象となる相手がいる場合もあれば、そうでないこともあるかもしれません。
いずれにしても、その自分が心から望むことをすることに付随して、何の見返りも求めることのない心の状態であるということです。
何らかの見返りを求めてしまえば、その分だけ与えることが目減りすることになってしまうでしょう。そういう意味で、与えるとはある種無邪気さを伴うかもしれません。
そんなことだったら、日常的に与えることなどやってるよ、と言われる人も多いかもしれませんが、それはその通りだと思います。
実は与えるというのは、特別なことでもなければ高尚なことでもありません。ごく普通に私たちがやっていることなのです。
何もしないけど、与えられたことがあったけど、得した感じがするけど、それは例外なんだろうかと思うかもしれません。
しかし、与えることに例外はなくて、上記の場合にはそれとは気づかずに前もって何かを与えていたはずなのです。
赤ちゃんは、ただ生まれてきただけで周りから愛を与えられるお得な存在であって、あれこそ例外だと思うかもしれませんが、実は赤ちゃんはその姿や無邪気な心そのものを周りの大人たちに与えているのです。
だからこそ、沢山の愛を与えられることになるということです。与えるとは単純なことですが、もしも自分は誰からも欲しいものを与えられていないと不満に感じているのでしたら、まずは与える側の人になることです。