向上心 その2

昨日のつづきです。

私が知っている限り、愛がベースの向上心というのはとても少ないように感じています。ほとんどがなんらかの恐れを伴って自分を向上させようとしているのではないかと思います。

今の自分のままではダメだ、実は自分はもっと頑張れば絶対もっと出来るはずなのだ、という思い込みがそこには必ずあるのです。

そして、こういった思いというのは自分ばかりではなく、家族や親しい相手に対しても抱いてしまう場合がとても多く、それが愛だと誰もが勘違いしてしまうのです。

例えば親が子供に対して、もっといい点がとれるはず、もっといい学校へ行けるはず、のように、こういった期待をしてしまいがちなのです。

この場合には、期待する方も期待される方も幸せからは遠くなってしまうのです。なぜなら、期待通りなら一時の安心、期待を裏切ったら必ず不服になるからです。

思い出していただきたいのは、大切なのは幸せかどうかという一点だということです。向上するという意味もそのことを抜きにして考えるのでしたら全く意味がありません。

愛を伴う向上心の場合には、上手にピアノが弾けるようになったら本人が嬉しいというシンプルな結果を期待しているだけです。

恐れを伴う向上心の場合には、もっと上手にならなければみっともないし、ライバルに負けたくないという思いです。もし、上手になったとしても瞬間的な安堵があるだけで、心の平安は期待できません。

「もっとできるはず」、これを手放すことがとても大切です。クロールでなんとか25m泳げる人が、もしかしたら自分は水泳ができますと言うかもしれません。

しかし、瞬間的な頑張りで何とか泳いだだけでそこには楽しさを感じられません。このような場合にも、根底には「私はもっとできるはず」があるのです。

心に余裕を持って、平常心を保ちつつ気持ちよく泳ぐことができなければ、自分は水泳ができますとは思わないことです。

今の自分を心底認めることができたら、「もっとできるはず」と頑張る必要は全くなくなってしまいます。

この認めるというのは、言葉を変えて表現すると赦すということかもしれないですね。なぜなら、この否定的な向上心はダメな自分を罰しているという状態であるからです。

そういった今の自分を罰することをやめて、そのままを受け入れる、つまり赦すことができたら、恐れを手放すことになるのです。

自分自身についても、また愛する家族や親しい人達に対しても、この「もっとできるはず」を手放して赦すことを実践していきましょう。それが、自分や相手への心の負荷を減らして、のびのびと暮らすことにつながるのです。