本当の自由

私たちは一般的に仕事などに追われて忙しくしている時間と比べて、ゆったりと気ままな時間を過ごしてる時のことをイメージすると、何かとても快適でリラックスしている感じであって、それは間違いなく自由だなあと思いますね。

確かに束縛されてるわけではないですから、テレビを観ようが音楽を聞こうが大好きなモノを食べようが自由だというわけです。

あるいは奴隷だった人が、重い手かせ足かせをはずされて、どこへでも行っていいよと言われたら、それこそ自由の身になったと言って喜ぶことでしょうね。

よほど特殊な事情でもない限り、我々は制限されるよりも自由でいたいと思うものです。でもここで一度、自由ということについて、真剣に考えてみてください。

自由とは、言動を束縛されないこと、あるいは思考を制限されないこと、と定義できると思います。では、気ままな時間を過ごしている時は、本当に自由でしょうか?

実は我々のマインドというのは、そんなに自由でいるわけではないのです。それは意識そのものがエゴの作ったものだからなのです。

この自分というものが自己なのだと認識している自分の意識、これがクセモノなのです。寝ているとき以外は通常意識が表面に現れていますね。それで気ままな時間を意識できるわけです。

しかし、それがエゴの作った世界に限定されていると考えるとどうでしょうか?それでも本当に自由だと言えるでしょうか?

自由気ままな時間を過ごしていると思っているその背後には、しっかりとエゴのシステムが動いていて、そこから逸脱できないようにされているのです。

だからこそ、不思議なことはそうそう起こらないのです。一般常識的に理解に苦しむような事柄というのは、この世界を現実のものと思わそうとしているエゴからすると、かなり厳密なルール通りに推移する必要があります。

それでこそ、この世界はやっぱりホンモノだと我々に思わせることができるのです。そしてエゴの世界ですから、愛もなければ赦しもありません。あるのは、逆に恐れや怒り、そして絶望などです。

ニセモノの愛も豊富にあることはあるのですが、真実の愛からはほど遠いものがあります。そういった世界で生きている私たちが、いくら勝手気ままな時間を過ごしているとしても、それは愛のない限定された世界での話しなのです。

それを自由と呼んでいるわけですね。では本当の自由とはどこにあるのでしょうか?

つづく