与えること その3

また続きです。

与えたものは与えられるという愛の法則について昨日はお話しました。最近、自分が体験したこの愛の法則のことを少しお話ししたいと思います。

実は私は、自分の時間を奪われることがとても苦手で、すぐにイライラしてしまうという面がありました。

例えば、何かの勧誘の電話がかかってきて、テレビを楽しく見ていたのを邪魔されるとか、食事の時間を中断されるなどがあると、もうほんの数分だけでも苦々しい思いをするのです。

ある日、数時間程度の空き時間ができて、その時間を利用してじっくり奇跡のコースのテキストを読もうと思って、予定どおり勉強していたのですが、勉強を始めてすぐに電話がかかってきてその時間を邪魔されたのです。

いつもなら早く切ろうと思うのですが、その時は思いなおして相手の気持ちに寄り添って自分の時間をあげちゃおうと思ったのです。

そう決心してからはイライラすることもなく、穏やかな気持ちで応対することができたのですが、結局ほとんどの時間を電話での対応に使ってしまったために、予定していたコースの勉強はできずに終わりました。

それでも、特別損をしたような気持ちになることもなかったのです。そして、奇跡はその後寝る前に起こりました。

就寝前の少しの時間でもいいから、今日読む予定だったところを読もうと思ってしばらく読み進めているうちに、気が付いたらその日予定していたところを全部読破してしまっていました。

驚いて時計をみても、それほど時間はたっていません。びっくりしたのですが、その時に愛をもって時間を与えたために、その時間を与えられたのだと気づいたのです。

しかも、常識では考えられないことですが、時間の進み方を調整されたとしか考えられないのです。おかげで、通常通りの時間に寝ることもできました。

時間については、もう一つ経験があります。昨年末にハワイに行った時のことですが、成田まで吉祥寺からリムジンバスで行くことにしていたのですが、乗ってからすぐに大渋滞の中に入ってしまいました。

運転手さんに聞いても、相当やばいかもしれない、というだけで、夜でしかも雨が降っていたためか、首都高の電光掲示板には渋滞60分と出ていました。

このままだと、完全に飛行機に乗り遅れるわけです。いつもだと、またイライラして成田に着いたときに大慌てで走っているイメージをしてみたりするところですが、その時は成り行きに任せようという気になって寝てしまったのです。

考えてみると、これは渋滞を赦すという気持ちになったのでしょう。これはある意味、愛を伴う意識に違いありません。その後、途中で目が覚めると、渋滞は解消していてバスは気持ちよく走行していました。

考えられないことですが、結局バスは定刻どおりに成田に到着してしまったのです。きっと渋滞という状況に対して、赦すという愛を与えることができたために、必要となる時間を与えてもらえたのだろうと思っています。

愛をもって与えることをすると、人生がとても都合よく回りだします。それは、愛を与えてもらえるからです。そしてそれは様々な形となって、自分が受け取れるようになるのです。

是非試してみてください。そして、一度でもこの経験をすると、与えることが自分を幸せにするのだと身に沁みて分かるようになるはずです。