記憶 その2

昨日のつづきです。

私たちの苦悩のベースは記憶にあるので、記憶力がニワトリさんのようにほとんどないほうがかえって幸せなのではないかということを書きました。

実際に苦悩させるものは、記憶の中でもただの事実としての記憶ではなくて、その事実に関連して発生した感情に絡んだ記憶ですね。

もしも、その日に感じた感情を次の日に持ち越すことが全くなければ、きっと私たちから苦悩は消えうせるでしょう。

昨日までのことをすべてリセットして今日を生きることができたら、赦しも必要なくなってしまいます。赦しは過去がターゲットだからです。

ですから、私たちは今この瞬間に問題があるとするよりも、過去の問題を引きずってこの瞬間に悩んでいることがほとんどなのです。

考えてみるとものすごく単純なことなのです。昨日までのことをすべて水に流すことができたら、人は誰でも幸せになることができるのです。

そういうわけで、過去などないとさえ思うことができたらこの世界から苦悩が消えます。過去があると思うのは時間という概念を信じているからですね。

もしも全知全能の神がいるとしたら、神は記憶力がいいと思いますか?それとも悪いでしょうか?

私なりの答えがあります。神は我々が思い描くような記憶力というものを使いません。記憶するような過去がない世界にいるからです。神は時間と空間を超越している世界にいるからです。

というよりも、時間も空間もない世界が天国だと思えばいいですね。だから神は我々人間のように苦悩などすることはありません。

私たちが神のように生きることは到底無理なことですが、そこに近づこうとする努力は意味があります。心の訓練によって、過去を水に流すことに慣れてくることができるからです。

記憶力がいい人を羨むことはありません。ニワトリさんよろしく3歩歩けば…くらいの気持ちで過去など我関せずという心持で生きることが大切だと思います。