季節の移り変わり

最近長袖が恋しい季節になりました。毎年、夏が去って行ってしまうのが惜しくて、それに抵抗する気持ちなのか、できるだけ半袖で過ごそうとしてしまいます。

どちらの気持ちが自分の中で強いかによって、その日に長袖を選ぶか半袖を選ぶかが決まります。10月後半ともなると、もう大抵長袖を選ぶようになってしまいますが。

こうした季節の変化は毎年同じように経験しているはずなのに、いつもこの変化が自分にとって初めて体験するかのように新鮮なのはなぜなのでしょうか。

季節の変化というのは、体調を悪くする要因にもなりますが、情緒的な趣きがあっていいものですね。人はみな変化を好むのです。恐れを伴う変化という一つの例外を除いてですが…。

なぜ変化を好むかというと、これにはいろいろ異論もあるかもしれませんが、根本的には変化するものに人は注意を向けていることができるからです。

つまり、自分の周りに変化するものがあれば、それだけ自分の内面よりもその外側で変化するものの方に意識を向けていることができるからです。

ということは、内面を見つめることを恐れているということですね。これは、いつも多忙にしていたり、絶え間なく何かを考えていたり、じっとして落ち着いていることができなかったり、瞑想が苦手だったりということと同じなのです。

変化がないとすぐに退屈してしまったり、何もしないでいると手持ち無沙汰であったりしてしまうのも同じことですね。

「コース」では真実は永遠であって、変化はしないものだと言っています。逆に言うと、変化するものはすべて真実ではないということになります。

赤ちゃんは生まれてすぐに自分の周りの動くものや変化するものに興味を持って、この世界を学習し始めます。そうやって次第に大人になっていくことも自分の変化ですね。

その変化が真実ではないと言われても納得できないかもしれませんが、突き詰めて物事を見つめてみると確かに真の愛は不変だと分かるし、本当の幸せは永続的な心の平安ですから、やはり真実は変化しないのです。

そしてこの世で変化しないものはありません。だからこの世には何一つ真実と言われるものはないということになります。この世界を物質世界として認識してしまうと確かにそういうことになってしまいます。

そして変化するということから恐怖が発生するということも事実です。死は生きることからの変化ですし、病気や怪我で苦しむのも、健康な状態からの変化に他なりません。

時間が経過するという変化、場所を移動するという変化、こんな根本的な変化も真実ではないということです。つまり、時空は作り物だということが分かります。

自分が何を信じるかは自由ですし、信じたものがその人にとっての真実と思えるようになってしまいますが、真実そのものが変わることは決してありません。

何が真実で、実在するのかということを本当の意味で理解することは自分が何者かということの理解と深く結びついているとても大切なことなのです。

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