体験は宝物

私たちには、さまざまな体験というものがあります。それは、この現実の中での日々の体験もあるし、前世や過去世での体験もあります。そして、睡眠中にみる夢の中での体験もあります。

更には、空想や想像上の体験というものもあります。ただし、現実に体験することと、頭の中だけで想像する体験とは全く違う、というのが一般的に信じられていることですね。

しかし、こうしたそれぞれの体験には実は本質的な違いはありません。体験の本質は、すべて自分の想念、あるいは観念上のものだからです。

現実の体験かどうかということは、身体の五感を使うかどうかの違いだけなのです。そして、私たちはさまざまな体験を通して、自分のうちにある想念を知ることができます。

あらゆる体験はそういう意味で、すべて能動的なものであるということができます。私たちの体験に受動的なものは一つもありません。なぜなら、自分の想念が受動的ということはあり得ないからです。

ということは、ありとあらゆる体験はことごとく自分自身であるということですね。自分の身体ではないものが、この世界のほとんどであるという認識は間違いではありませんが…。

私たちはあらゆる体験を通して、自分の内面を見ているのです。だから体験は宝物です。体験がなければ、自分を知るすべがありません。

そういった心構えですべての体験を見つめて見ると、自分というものが分かってきます。そして、この体験を通して自分の想念がどういったものなのかが、はっきりしてくるのです。

そうしてはじめて、自分の想念のベースが分離というものから成り立っているということに気付くことができます。「奇跡のコース」では、それは実在しない想念だと言う言い方をします。

実在する想念はたった一つ、すべては一つという愛の想念だけだと言っています。実在しない想念が作り上げた現実の中に、いつまでいるのかはあくまでも自分次第です。

せっかくその体験をしているのですから、それを思い切り楽しむことです。うんと楽しんだら、次は実在の想念に戻るのもいいかもしれませんね。