合理化

何年も前のコラムに、「合理化」について書いたことがあります。自分にとって都合の悪い言葉、考え、事態などに遭遇したときに、そこから何とかして逃げようとする心の働きのことを言います。

それは勿論、その都合の悪いモノから自分を守ろうとするまさにエゴの防衛のさせる技であるわけです。人の心が持つ合理化のパワーというのはすさまじいものがあります。

後催眠効果というのをご存知ですか?催眠中にいろいろな暗示を与えておいて、催眠から醒めた後でも本人は無意識的にその暗示どおりに行動してしまうというものです。

例えば、催眠中に「自分の名前を言おうとすると、喉がつかえて言えなくなる」という暗示を与えておいて、催眠から醒めたあとにあなたの名前は?と質問されて、それに答えようとすると確かに言葉に詰まるという状態が起きるのです。

被験者は、自分の名前を言えないなどという経験が今までないわけですから、必死になって言おうとするのですが、どうしても声がでない状態になってしまうのです。

それ以外の言葉は普通に話せるし、自覚としては催眠から完全に醒めているはずなのに、自分の名前を言おうとしたときに限って、言葉が出てこないという経験をするのです。

こうしたことは、表面意識に逆らって、暗示を受けた潜在意識がその暗示どおりの行動を本人にさせてしまうことから起きるのですが、それが「合理化」ととてもよく似ています。

後催眠効果というのは、他者からの暗示によってその通りの言動をさせられてしまうのですが、「合理化」はエゴが自己防衛のためという大義名分を使って潜在意識に命令をするのです。

どちらのパワーもすごいものがあります。しかし、他者からの暗示の場合には、私が知る限りでは本人が不利益になるような場合には暗示に従わないでいられるのですが、「合理化」の方は客観的にみて本人に不利益になると思われるようなことでも、「合理化」が優先されてしまいます。

例えば、どんなに一生懸命上司の言うことを理解しようと頑張っても、「合理化」によって理解力を低下させられてしまうと、何も理解できないという状態になってしまいます。

「合理化」も後催眠効果も、共通していることは本人の理性を超越してしまうということです。 そしてそのために、本人としては自分の言動に不信感を持たないでいられるのです。

「合理化」が起きると、それに気付かない限り、防衛をやめることができません。それはエゴの思う壺なのです。自分の言動をいつも注意深く見つめていることが、「合理化」を見破る唯一の方法かもしれませんね。