起きている事態を許す

「奇跡のコース」では、許しの実践をすることが自分やこの世界を救うことになると繰り返し教えてくれています。シンプルなことですが、実践するのはなかなか難しいですね。

一口に許しと言ってもいろいろあります。一般的には罪深い誰かの言動や目には見えない誰かの考え方や観念を許すということをあげることができます。

これは人が関係することに対する許しなわけですが、それ以外に直接人が絡まないような、起きている事態そのものを許すということもあります。

例えば、渋滞にイライラするのは渋滞という事態を許していないことになりますね。逆に言えば、渋滞を許すということは、その事態に何の反応もしないでいられるということです。

何かの買い物に出かけて、その品物の値段を見て何でこんなに高いんだろうといやな感じになるとしたら、その価格設定を許してないということになります。

おろし立ての新品の靴を履いて出かけたのに、急にどしゃぶりの雨に見舞われたら、まったくもうという気持ちになってしまうかもしれません。

それは自分の不運を許してないということになりますね。許すということは言葉を変えるとその事態を受け入れるということです。

起きている事態を許せない、受け入れられないという心とはどういったものでしょうか?それは、やはり自分を守りたいという欲求なのです。

今起きてる事態によって、自分という存在が傷つけられる、あるいは攻撃されるということはないのだということに気付く事ができたら、防衛しようとする必要はなくなります。

そうなると、どんな事態に遭遇したとしても、それをただ受け入れるということが可能になります。それが、その事態を許すということです。

毎日の生活のあらゆる場面で、この「起きている事態を許す」という実践をすることです。それを忘れないで生活することが大切です。そこから、他の許しも次第にできるようになっていくからです。