共通無意識

かつて、フロイトは人間の心には潜在意識や無意識といった、表面から隠された部分があって、そこが意識の大部分を占めているということを唱えました。

そして更に、フロイトの弟子であったユングは後に無意識のまたその下には集合無意識、あるいは共通無意識と言われる部分があると言いました。

その部分はすべての人類に共通する部分であると同時に、互いにつながっているということも示しました。こうしたことに興味があれば、読みやすい本が沢山出ていますので読んでみてもいいですね。

ここで大切なことは、この共通無意識という考え方は、すべては一つという愛の想念に通じるものだということです。すべての人が深い部分で互いに繋がっていると言っているからです。

一般に知能が高いと言われているクジラやイルカは、我々が表面意識と読んでいる通常の自覚的な意識よりも、この共通無意識の部分が突出していると聞いたことがあります。

真偽のほどは確かではありませんが、人類が更なる精神的な進化を遂げると、クジラやイルカと同じように共通無意識の部分が大きくなって、逆に個人としての表面意識は小さくなっていくことになると聞いたことがあります。

確かに、この自分が自分なのだと認識している表面意識は、自分の個別性を維持しているエゴと考えられるわけですから、心の進化と共にエゴが衰退すれば、自然と共通無意識の領域がメインとなっていくはずです。

現在の私たちの常識では個性を大切にしようとする傾向がありますが、これはエゴを助長させることになるのは明白ですね。

自分は他人とは違うとする意識、自分は特別なのだと思おうとする意識がエゴなのですから、エゴは共通無意識などを否認しようとするはずです。

没個性は絶対いやだと思うのは今までの常識では当然の反応だと私も思います。ですが、許しの実践を通して裁くということを完全に手放していくことは、結局自分と人は一つに繋がっているという境地に戻っていくことだと思うのです。

そしてそれが本来の自分たちの姿であるし、それこそが恐れや憎しみから開放されて愛の自分を取り戻す唯一の方法であるとも思います。

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