もう10年以上前のことですが、ある会場で執着を手放すためのワークというのを多くの人と一緒にさせられたことがありました。
それは自分がいつまでも執着し続けていると思われる対象をイメージして、それを目の前の台の上に置いておき、それを少しずつ向こう側の崖に向かって押していって最後にはその崖へと突き落とすというものでした。
私は、その時にとても手放したくないある対象を一生懸命、自分の手で押していったのですが、最後に崖から落ちる寸前になったときに、手を差し伸べて引き戻してしまった記憶があります。
なぜこんなワークをやったのか、その時の講師の人に聞きたいくらいですが、今ではこうしたことは全く意味のないことだと思うようになりました。
意味がないだけではなくて、やればやるほど執着が残ってしまうはずだと分かるのです。つまり、執着というものは、それを手放そうと思えば思うほど、執着するということです。
それは、ちょうど寝ようと必死になればなるほど、寝付けないという情況と同じだと考えてもらえば分かりやすいと思います。
こうしたことは、いくらでも似たようなことを探し出すことができます。例えば、努力しないようにと努力してしまったり、リラックスするために奮闘する、あるいは静寂さを求めて必死になるなど。
客観的に見れば笑ってしまうようなことですが、当事者ともなると一生懸命であるためにそれがどれほど滑稽なことかは、気づくことができないのです。
自分を改善しようと思えば思うほど、思ったように改善していかない自分を責めてしまったりして、結果として罪悪感を深めてしまうことになるかもしれません。
つまるところ、意図的に自分のことをもっと何とかしようと思わないほうがいいということです。それでは向上することができなくなってしまうと心配されるかもしれません。
そうではなくて、楽しみながら好きなことをやっていくことの副産物として、思わぬ改善が起きるかもしれないという予想外の結果を楽しみにする程度のほうがいいということです。
いずれにしても、まずは自分は本質的には変わらないのだということをはっきりさせることです。その上で、より興味のある方向へと自分の意識を向けるようにすることの方が効果的なのです。