窓ガラスに映った己の姿

昨日は久しぶりに電車に乗ったのですが、多分、今年に入って初めてだと思います。ええ?そんなに外出しない人っているんだ、と思われた方もいらっしゃるでしょうね。

でも本当にそうなのです。以前に、年に1、2度しか電車に乗らないというときもありました。で、昨日は夕方から出かけて夜帰ってきたのですが、その時間帯まで考慮すると2年ぶりくらいかもしれません。

何が言いたいのかというと、外が暗くなった帰りの電車の中で、窓ガラスに映った自分の姿を見ていてギョッとしてしまったのです。

ああ、なんて老けたのだろうかと。ドア近くに立って窓ガラス越しに見た己は、こんな疲れたような親父のはずじゃないと思ってたのです。

でも、どうやっても自分の記憶の中にある己の姿とは違ってしまっていました。これはもう、どうしようもないことなんですね。

内面は全く以前と違ってなどないのに、こうも外見というものは残酷に、そして着実に老け込んで行くのですね。

ちょっとした浦島太郎状態だったのかもしれません。そして、今度は電車の中にいる人たちをよ~く観察させてもらったところ、これもまた驚きの現実が待っていました。

自分の記憶では、この人は自分よりも年下、あの人はきっと年上だろう、そういう判断がこれまたアップデートされていないのです。

自分よりも年配だろうと思っていた人をじっくり見直してみたら、もしかしたら自分の方が年上かもしれないということに気づいたのです。

そうしたら、少し前までぼんやりと見ていたときと比べて、自分よりも年下だと思える人が圧倒的に多いということに気づかされてしまいました。

こうやって、人は年をとっていくものなのかもしれません。今まで生きてきて、これほど自分の外見にショックを感じたことはなかったと思います。

窓ガラスに映った自分の姿に向かって、何度も心の中で言いました。あいつは絶対自分じゃないよと。全く内面の自分とそぐわないよと。

そしてそれは、本当のことなのですが、こんなこと誰に言っても、ただの強がっている親父に過ぎないと思われてしまうのでしょうね。