物語は魅力的でも真理ではない

私たちは、誰もが「物語り」のことが大好きです。幼い頃のたわいもない空想や妄想の類から始まって、映画やテレビの物語にも時間を忘れてはまり込むものです。

そうした作り物の物語だけではなくて、現実の物語にもとても興味があります。実話とか伝記のような本当にあった物語、それは人や人類の歴史についてだったりします。

そして最も身近な物語として、自分自身の人生があるわけです。自分の人生については、単に興味があるというレベルでは済まされないですね。

でもそれもやはり、物語には違いありません。「物語」というのは、何かが起きること、そしてそこには原因とそれに続く結果が必ずあるのです。

原因があれば、かならず知性によって理解できる結果が待っていることを知っています。ところが、それは100%の精度があるわけではありません。

つまり、過去にある原因が充分に分かっていても、完全には未来の結果を予測することが不可能なことも知っています。

それは、原因となるもののすべての要素を知ることが不可能だからです。だからこそ、未来を予測することができても、100%の精度を達成することができないのです。

そのバランスが人生をすばらしいものにしているのですね。物語がどう進んでいくのか、自分がいつ死ぬのか、そういう未来が分からないからこそ物語に魅かれるのです。

そしてもう一つ、私たちが知っている原因と結果の因果律以外にも、ただ向こうからやってくることがあります。それはまったく予想することが不可能なことです。

それは知性では理解することのできないもの、真理という源泉からやってくるものです。この世界は、その二つの要素によって推移しているのです。

物語に興味を持つのは、思考の特徴なのだと思います。物語は理解の対象として思考にとってはとても大切なものなのでしょう。

そのことをしっかりと認めつつ、それでも物語から離れているところに意識を向けていることができることにも気づいていること、それを忘れてはいけません。そこにのみ、真理があるからです。