どんな邪悪な妄想でも罪ではない

確か、モーゼの十戒に、「汝、姦淫することなかれ」というのがありますね。詳しくは知りませんが、きっと現代用語で言えば不倫のようなものをするなということだと思います。

それだけでしたら、現代の一般常識とさほど違いがないように感じますが、どこかで聞きかじったことですが、それは行為に及ばなくても考えただけでも罪だということも含まれるらしいです。

つまり、心のなかで想像したり、妄想するだけでも実際の行為と同じだけの罪深さがあるということのようですね。

そこは、確かに宗教的な色彩が強い部分だと思われます。現実のこの世界では、例えば殺人を犯したら罪を問われますが、殺人をどれほどリアルに想像したところで、罪にはなりません。

それは、他人の心の中は当人以外の何ものも覗いて、その想像の内容を見極めることができないからでしょう。

証拠のないものを、本人の自白だけで罰することができないので、それは罪にはならないということですね。

ところで、長い間膨大な数のクライアントさんとのセッションを通して気づかされたことがあるのですが、それは想像しただけで罪悪感を持つ人が沢山いらっしゃるということです。

私にしてみれば、人間は可能な限りのあらゆる想像をめぐらすことができて当然なのですが、人によってはこんなことを妄想している自分は許せないと思うことがあるらしいのです。

一番いい例が、幼い子供の場合に多いのですが、親の言動に対して本当は否定しているのに、それをなかったことにしようとする心の傾向が強いのです。

いやなことを言われても、それに対する怒りや憎しみのような感情を感じてはいけないとして、それを無視したりするということです。

勿論こうしたことは、大人になっても継続する場合もあるでしょう。自分は誰かのことをこんなふうに否定しようする邪悪な心があるとして、それに罪悪感を感じたりするのです。

けれども、心の中に巻き起こるどんな妄想でも、それに付随するいかなる感情であっても、それをあるがままにしっかり見ることです。

そうしたものに対して、誇張したり脚色したりせずに、そのままを逃避せずに見ることです。それができたときには、罪悪感も一緒に消えうせるはずなのです。