エゴの癒しから自己探求へ

セラピストの仕事を始めてしばらくしてから、コツコツと書き溜めたコラムがあります。勿論今でもルシッドのホームページ上にそのまま掲載してあります。

そのコラムも、もうすでに書かなくなってから多分4年くらいは経っていると思います。そのくらい、ある意味放置してしまっているということです。

これは、サボっているということではなくて、自分の中である種の変化が起きたために、書こうという気持ちがなくなってしまったというのが本当のところです。

コラムに書いていたことは、概ねエゴのレベルでの癒しに関することでした。そのことに疑問を持ち始めたために、すっかりコラムから遠ざかってしまったのです。

けれども、今だにコラムを読んで、ピンときてセッションに来たと言って下さるクライアントさんもいらっしゃるのも事実なのです。

したがって、癒しの入り口としては、たとえエゴのレベルであっても、私がずっとやってきたような心理療法というのは、必要なのだと思います。

人はどれほど真理に近いことに気づいたとしても、やはりエゴとして生きているのです。したがって、エゴをエゴとしてしっかり見るためには、エゴの領域での癒しが必要なのですね。

部屋から出て行くためには、部屋のなかを歩いて行って、ドアを開ける必要があるのと同じです。部屋を通らずに外に出ることは不可能なのです。

そしてここからが更に大切なところですが、外に出るために部屋の中をグルグル回ってしまっては、永久に出ることができなくなってしまいます。

部屋を歩くときには、一直線にドアを目指して歩く必要があるということです。エゴのレベルの癒しをするときにも、まったく同じことが言えるのです。

エゴを打倒するというよりは、エゴを利用してエゴの外に注意を向け続けることを忘れてはならないということです。

それが自己探求なのです。そのためには、ルシッドのコラムを読んで理解を深めることができた方には、是非こちらのブログも読んで欲しいと思っています。

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