死の恐怖はホンモノではない

最近では、このブログを書いてから歯を磨いたりして寝る準備をするのが慣例のようになっています。実際に布団にくるまるのは、それから少し後になるのですが。

それにしても、布団に入っていつも感じるのは、寝るのが本当に好きだなあ!ということです。いろいろその理由を考えてみるのですが、とにかく眠りに落ちることが楽しいなのです。

それは言葉を変えれば、意識を失う状態になるということを好んでいるということです。自分がいなくなる状態が好きということですね。

どうも後ろ向きな感じは否めないのですが、こればかりは仕方がありません。ところで、自分がいなくなるという点においては、眠ることと死ぬことに何の違いもありません。

それなのに、なぜ死ぬことだけが恐怖と結びついてしまうのでしょうか?自分がいるという状態に戻ってこれないということが、なぜそれほど怖いのか、これも謎です。

死ぬことが怖いからといって、じゃあずっと死なないままで何千年も生き続けなければならないとしたら、それはもう地獄の苦しみだろうと思うのです。

結局、死の恐怖というのが本物なのかどうかが怪しくなってきます。もしもそれがニセモノであるとしたら、恐怖そのものがまがいものであるということになるはずです。

死ぬことがどれほど怖くても、死んでしまったらどこにも恐怖など残ってはいないということも皮肉なことですが事実ですね。

死が忌み嫌うべきものだという洗脳をしっかり見つめて、恐怖が本物ではないということを見抜くとき、今度は私たちの本質に死はないということに気づくのではないかと思います。