自分の存在価値に気づけずに大人になってしまうと、自己否定感が強く心の中に残ってしまうでしょうね。自分はダメなやつだと烙印を押してしまったのですから、それは心の底に強烈にこびりついてしまうのです。
それは本当につらいことですから、本人は何とかして自分のことを好きになることはできないかと奮闘するのですが、大抵はなかなかうまく行かないはずです。
存在価値に気づかせてもらうためには、成長過程において十分な自己表現と、それに付随した十分な受け止められ感が必須なのです。
そうした体験が十分でない分だけ、存在価値は怪しくなって、何となく自分はここにこうしてこのままいていいのかどうかが、分からずに不安が続くことになるのです。
さらに言えば、親の厳しいルールに問答無用で従わされたり、叱られる恐怖なども存在価値の気づきを抑制するはずです。
あまり知られていないかもしれませんが、親が高度の心配性だったりすると、心配させる自分はダメなやつという理屈が働いてしまい、理不尽にも自己否定が拭えなくなってしまうということも起きてきます。
自己否定感が悪循環を生み、もうどうしようもないところまで心理的に追い詰められたとき、つまりある種の極限を迎えると、そこには平安が待っていることがあります。
それは、自己否定という最強の自己防衛が自動的に停止するからです。本人の意思とは無関係に、観念する状態になるのです。ここまで落ちたならもうどうでもいいという気持ちです。
何とかして自分をもっと向上させねばという気持ちが消え失せたとき、人は清々しい場所に行くことができるのです。これは、明け渡した状態であるとも言えます。
言ってみれば、極端から極端に移動したようなものです。したがって、残念なことですがこの状態は長く続くことはなく、次第にまた慣れ親しんだ自己否定感がやってくることになるのです。
自動的にやってきた明け渡しは、これまた自動的に消えていってしまう運命にあるのです。これを自分の制御下に置くことはきっと不可能なことなのです。
けれども、完璧に自分の意思で明け渡しの状態を維持することができる方法があるのです。それが、今この瞬間どうなっているかに意識を向けるということです。
なぜなら明け渡すとは、物語から抜けるということだからです。そして、この方法に限っては、常に努力なしに実践することが可能ですし、再現性もある真の明け渡法しなのです。