会社員の時ですが、大澤杯ボーリング大会というのを職場でやっていたことがあります。男性が多い職場だったので、いろいろな部署のセクレタリーの女性を毎回誘っての楽しい大会でした。
勿論ボーリングが終わったら、ふつうの飲み会へと流れるシステムでした。優勝者は、名前を書いてもらったトロフィーを次の大会まで、机の上に置いて誇れるという特典もあったので、そこそこみんな本気?でやっていたのです。
あるとき、たまたま大会の日に腰痛がかなりあって、でも立ち場上欠席というわけにもいかないので、とりあえずダメ元で参加したことがあったのです。
ところが、気負いが抜けたのか、力が抜けてリラックスできたせいなのか、いつもよりもコントロールがよくて結果として優勝してしまったことがありました。
怪我の功名というのか、自分でも驚いてしまい、腰が痛いのはウソだったのではないかと疑われたほどでした。アスリートの人の話しでも、あまりに調子が良すぎると意外に期待した結果が出ないというのを聞いたことがあります。
思えば、45歳で大腸がんになったときも、それがきっかけの一つとなって会社員を辞めて、今の仕事に就くことになったわけで、やはりこれも怪我ならず病気の功名と言えるかもしれません。
やはり人は幸せだったり、調子のいい時よりも具合が悪かったり、何かに困って追い詰められている時の方が、圧倒的に大切な気づきがやってくると言えるようですね。
癒しについてもまったく同じことが言えます。セッションにこられるときは、順風満帆では決してないわけで、だからこそ癒しのチャンスがやってくることになるのです。
逆風が吹いたり、試練のようなものに立ち向かうというのは、確かに逃げない姿勢ということではすばらしいのですが、そこには戦いの要素があり、自分の力で人生を何とかしようとする自我が真ん中に居座っています。
勇ましい姿というのは、いつの世にも人の心を感動させるものですが、できれば惨めに負けを認めて打ちひしがれた心になれた方が、はるかに癒しが進むのも事実です。
それは無防備な心に近づくことであり、結果として大いなる意志と繋がる大チャンスがやってくるからです。