普段私たちは、あまりにも当然のこととして気にもしていないことがあるのですが、それは自分は一体全体どこにいるのか?ということです。
そのことを一度でも追及したことがある人なら分かるはずですが、本当はそのことを知らないのです。誰も、自分がどこにいるのかを特定できないのです。
逆に言えば、そのことに気づきたくないので、知っているふりをして生活しているのです。自分がどこにいるか分からないということが、それほど都合が悪いことなのですね。
何となくぼんやりと、自分とはこの身体に違いないと感じているために、もうそのことには一切触れないようにして生きているのですが、でも自分は身体そのものだとは思っていない人も沢山いるはず。
それなら、自分はこの身体の中に入っているのか、それとも身体の外にいるのか、あるいは身体から離れたどこかの場所にいるのか、それくらいは見つめてみてもいいはずです。
そうすると誰もが自分の正体を肉眼では見ることができないという、あまりにも不自然とも言える事実にすぐに直面してしまいます。
どれほど不自然だとしても、それ以上追及しないのが普通です。ここの当たりに、もうすでに真実がその姿を露呈しているのですが、多くの人はここを見過ごしてしまうのです。
けれども、ただ逃げないでいるだけで、自分をどこにも見つけることができないという事実に気づいてしまいます。気づきとは、これほど単純でシンプルなことなのです。
あなたが、この世界のどこにも自分を見つけることができないということは、例えていえばあなたが寝ている間に夢を見ているとして、その夢の中に自分が登場するはずですね。
その夢の中の登場人物である自分が、ふとしたきっかけで「これは夢だ」と気づいてしまったとしましょう。その時、その夢を眠りの中で創り出している本当の自分を見出すことができないはずです。
それと全く同じなのです。結局、本当の本当のあなたの正体とは、この世界を包含する実存なのです。この世界のどこにも遍在する全体性であるということです。