私の心の中に、瞑想を楽しんでいる部分もあれば、うっすらですが瞑想を恐れている部分もあるのを感じています。そこに意識を向けてみると、何だかとても構えているような雰囲気がするのです。
今更何を怯えているのかなと思っていたのですが、夕べそれを現わす象徴的な夢を見ました。記憶のある限りですが、ほとんど怖い夢というものを見たことがないので、びっくりしたのです。
その夢は、自分がどこかを一人で歩いているのですが、ある時から急に完全なる闇の中を歩いているようになってしまうのです。周り中を見回しても、一切何も見えない漆黒の闇です。
この状態、夢でないとしたらまずい、夢であって欲しいと願うのですが、一向に目が覚める気配がないので、徐々に本当に恐ろしくなってくるのです。
自分がどこにいるのかも分からず、何も見えずにただそこを歩いている自分がいる。その時には、自分が何者かも分からない状態でした。
怖くて怖くてこのままだと本当にやばい精神状態になってしまうと思ったときに、ふと目が覚めて夢でよかったと思ったのです。その時、周りは実際闇の中でしたが…。
目覚めたベッドの闇の中で、その時分かったのです。ああ、自分が瞑想に対して持っている恐怖とはこれだったのだと。私たちは、誰でも自分の知覚が遮断されることを心底恐れているのです。
なぜなら、自我(エゴ)は知覚からの情報を餌にして、思考を働かせて生き延びようとしているからです。知覚が遮断されると、自分が何者かということすら分からなくなってしまい、自我はもっとも危険な状態になるからです。
私は、瞑想の中で前後不覚になるのを楽しんでいたつもりだったのですが、一方ではそれを死ぬほど怖がっている自我の部分があったということですね。
夢でそれを教えてもらえたのは、とてもよかったと思っています。恐怖は、あることは分かっていても、なかなか表面化してこないものだからです。
思考が静まっていくと、間違いなく心の中が空虚な感じになるのですが、それは本当に空虚なのではなくて、自我が活動していた残骸を感じているだけなのです。
その空虚さを恐れているのなら、まだまだ自我は健在ということです。真に空虚であれば、それを空虚だと感じる何者もなくなるのですから。