エゴは個性を殺す

私たちの心の中にある自我(エゴ)は、自分のことを常に特別な存在でありたいと願っているのです。その願いはかなり節操がなくて、良いことでも悪いことでもどちらでもいいから特別感が欲しいのです。

人よりもお金持ち、自分には誰もまねのできない才能がある、人格的に優れている、外見が美しいなどは、ポジティブな方で特別であろうとするときの特徴ですね。

一方、人よりも重篤な病気に罹っている、世界で一番のダメ人間だ、性格も悪いし、外見もひどいなどは、ネガティブな方で特別感を出そうとするときの特徴です。

こうしたことを改めて考えると、エゴの特別であることへの願望とは凄まじいものがあるということですね。自分は普通であってはいけないというわけです。

また逆手をとって、あまりにも普通の人であるということでの特別さをアピールするということだって、あるかもしれません。これほどまでに必死なのは、自分の存在の確かさがかかっているからです。

けれども、よくよく考えてみると、こうしたエゴの特徴というものが誰の中にもあるとするなら、これほど特別ではないということもないのではないでしょうか?

どの人のエゴも結局同じようなものなのです。大して変わり映えするものではありません。目的は、自分が存在するということを自分自身に証明し続けるのがその本業だからです。

そのために恐怖を植えつけて、常に自己防衛に奔走させるところまですべてのエゴに共通する特徴です。敢えて個性があるとするなら、防衛の方法に様々なバリエーションがあるということくらいです。

つまり、エゴは自分は特別だと思いたいのに、そのエゴ張本人が私たちの大切な個性を奪って、誰もが似たような個性のない人生を生きるように強いているということです。

エゴにとっては皮肉なことが起きているということですね。もしも、あなたの心からエゴの部分が消滅してしまったなら、あなたは正真正銘の個性的な存在になるはずなのです。

そうなったら、あなたと同じような人はこの世界に誰もいなくなってしまうでしょう。誰もがその人の輝くような個性を存分に生きることができたら、この上なく素晴らしいものとなるでしょうね。

この世界は確かに実在します。けれども、一つだけ実在しないものがあるのです。それが、エゴです。エゴは思考であり、想像の産物に過ぎません。十分に光を当てれば、影が消えるのと同じように消えてなくなるのです。