知識を捨てること

自己防衛の中の一つに、知性化というのがあります。それは、知識をできるだけ溜め込むことで、ハートで感じることを遮り、観念の世界へと逃亡する方法です。

沢山の本を読み漁り、人よりも多くの知識を記憶して、心の鎧として使おうとすることです。一般的には、インテリ層の人がよく使う防衛のメカニズムですね。

知識というのは、自分以外の誰かから得た情報の集まりであって、そこには生き生きとした生を感じることがほとんどできないのです。

ただただ、知識を詰め込むことでいくばくかの安心を得ることができるというだけで、その一方で知識を増やせば増やすほど自分の本質から遠ざかっていくようなものなのです。

なぜなら、あなたの得た知識が自分はこれだけのことを知っているというように思わせるからです。それは知っているのではなくて、信じているだけだということに気づかなくなってしまうのです。

あなたが仕事などで使う必要のある知識、それは情報と言えばいいものですが、それは勿論必要なものです。けれども、単なる知識は害になるのです。

できるだけ、これまで得てきた知識を捨てることです。知識は百害あって一利なしですから。それよりも、少しはましなのが知恵ですね。

知恵は、人から聞いたものではなく自分で経験したことに基づいているため、知識ほど害にはなりません。ところが、この知恵も厳密な意味においては、本当に役立つものではないのです。

なぜなら、知恵の出どこはあなた自身が経験した過去の産物から得たものだからです。あなたの生は、一瞬の休みもなく絶えず流転して変化しているものです。

だから、あなたの知恵は今この瞬間にはもうすでに古くなってしまっているというのが本当のところなのです。本当に大切なのは、知識でも知恵でもなく、今この瞬間の認識なのです。

認識とは常に今であって、過去の蓄積とは全く異なるものです。認識は生と同じようにまさに生きているのです。それは常に生まれ変わって古くなることがありません。

瞬間瞬間の認識の中に生きることです。歴史や伝統の重さから解放されて、今この瞬間に全身全霊で入っていくのです。過去も未来もないこの今という永遠に生きるということです。

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