自分の内側の広大さに気づくと…

ごく一般人として、普通に社会に順応しながら生きてきた人が、何かのきっかけなどから一たび、自分の内側の広大さに気づいてしまったら、その人の人生には違った質が顕われてくるのです。

それは例えば、それまでその人が信じてきた大切な事柄や、沢山の常識あるいは正しさ、また長年かけて培ってきた知識などが、あれっと言う間にガラクタのように感じ出すのです。

それは、ある種青天の霹靂とも言えるかもしれません。どれだけ、自分は社会やこの世界から騙されてきてしまったのか、そして騙した中の一人として自分自身も含まれるのです。

自分が頼りにしていたものが、次々と崩壊していくように感じる人もいるかもしれません。それはとても恐ろしい感じがするはずです。

けれども、その一方で言葉には尽せないほどの解放感、清々しさというものも味わうことになるはずです。なぜなら、原理的にはあらゆる心理的な束縛から解放されて自由になるのですから。

そして、徐々にではあるのですが、外側の世界に自分を満たしてくれるものは一つもなかったと気づいていくのです。勿論、そこそこ未練は残るのですが…。

さらには、人生への見方というものが変化してしまいます。誰もが持っている人生の目的や目標といった未来に向けての期待が薄れて行ってしまうのですから。

この無目的というのは、何かを達成するという生き方の正反対というわけではありません。それなりの目的があってもいいのですが、自分のエネルギーが向かう中心が、未来から今現在へとシフトするということです。

またやること、なすこと、考えることが単純なものになっていくはずです。そして、内側を見るという体験をもっともっとしたくなって、ともするとこの社会が邪魔に感じ出すこともあるかもしれません。

けれども、社会から逃避することなく、社会の中にあって社会から束縛されない、社会には一切触れないでいるという人生がやってくるかもしれません。

そしてもしも神の恩寵があれば、その人は肉体があるうちにその人格は消えていくのでしょうね。