「動」の中にいて、「不動」に意識を向ける

私たちは常に活動しています。じっとしているように見える人も、生きるということ、つまり生そのものが活動なのですから、例外ではありません。

この地球上においても、生物に限らず無生物であっても、必ず「動」の状態にあるのです。地面は私たちにとっては静止しているようにみえるけれど、地球の自転によって時速1700kmくらいの速度で動いています。

太陽にしても、あるいは我々の銀河系にしても渦を巻きながら途方もないスピードで宇宙空間を移動し続けているのです。つまり、この宇宙全体が、「動」で成り立っているのです。

どこを探してみても、「不動」を見出すことはできません。けれども、もしも仮にあなたのマインドの中の思考が停止したとしたら、あなたは「不動」を感知するはずです。

「不動」は、思考によってイメージすることはおろか、どんな知覚によっても感じることは不可能なのです。なぜなら、思考も知覚も「動」の仲間だからです。

実は、思考を完全に止めるなどというのは、一般人には到底できることではありませんが、でもそれを垣間見ることならできるのです。

たとえば、ゆったりと落ち着いた状態で自分の思考を見るのです。そうすると、思考と思考の間にほんの一瞬思考のない部分があることに気づきます。

そこに意識を向けることによって、「不動」を感じることができるはずです。この「不動」こそが、私たちの本質なのです。この世界の「動」という現象を支えている「不動」が在ることに気づくことができるのです。

それは、映写された「動」としての映像と、「不動」としてのスクリーンのようなものだと思えばいいかもしれません。

できるだけ、精妙に周りの音に耳を傾けるなら、思考は緩み、「動」としての音の奥にある「不動」の静寂を聞くことができるはずです。

常に、「動」の中にいながらにして、「不動」に意識が向いていれば、思考は自然と落ちていくし、その逆も起きるはずなのです。