期待されることと罪悪感はセット

この社会においては、愛情深い親は子供に対して期待して当然だと思われているはずですね。子供に全くの期待もしないのなら、そんな親は愛のない卑劣な奴だというわけです。

一見正しいような気もしますが、実のところ本当の愛というのは相手に対してどんな期待も持たないはずです。なぜなら、今ある相手の存在に対してのみ愛が発動するからです。

期待というのは、それがどれほど素晴らしいものであろうと、100%未来に対するものなのです。したがって、期待するということは、それだけこの瞬間の相手の存在を見ていないということなのです。

それが分かれば、親に多大な期待をされてしまう子供が、如何にその圧力に喘ぎ苦しむことになるかが分かるというものです。

それは、今ある自分のままではいけないのだというメッセージをもらい続けることになってしまうのです。いくら親がそうではないと主張したところで、子供の側からすれば期待されることは苦しみしかありません。

期待と罪悪感はセットだからです。期待に応えられない自分に対して、必ずや罪悪感を感じることになってしまうからです。

どれほどの結果や成果を残したとしても、子供は決して満足することができません。なぜなら、もっともっと期待に応えなければならないという使命感に苛まれてしまうからです。

幼い頃に、親からの期待に潰されそうになっていたという自覚があるなら、期待を裏切ってやってくる罪悪感から逃げないようにすることです。

罪悪感を充分に味わってしまえば、期待に応えられないことなどどうでもいいことになるからです。そして、期待することは愛とは無縁であるということも忘れないことですね。

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