愛着は滞りを起こす

誰でも長く使っているものというのは、単なるモノであるだけでなく、それなりの思い入れのようなものがあって、手放すときには少々感傷的な気持ちにもなるものですね。

それは愛情と言うよりも、愛着と呼んだ方が近いのかもしれません。あるいは、もう少し否定的な言葉を使えば、それにしがみついているとも言えますね。

人は馴染み深いもの、よく自分と馴染んだモノに対しては一様にしがみつく傾向を持っているということです。それがまるで自分の一部のように感じられるからかもしれません。

そして、面白いことに、そうした愛着、しがみつきというのは、普通は好みのモノに対してのみあると思われがちですが、実はそうではないのです。

本人にとって決して好ましくないようなモノでさえ、しがみつく傾向というのは作用するのです。たとえば、同じ病気を長く患っていると、それとの生活が当り前のものになっていくのです。

そうすると、いざその病気が治ろうとすると、マインドのどこかに不思議な寂しさや物足りなさのようなものを感じるということもあり得るのです。

私は若い頃から胃腸が弱くて、胃がもたれることが日常的にあったのですが、たまに胃の調子がすこぶるいい感じの時があるのです。

そうすると、気が付くと食べ過ぎていつもの胃もたれを起こさせるようなことをしていた自覚があったのです。その時は、不思議だなと思っていたくらいでしたが、きっとこれも胃もたれを馴染みにしていたということですね。

人は幸せになりたいと表面では思っているものの、長い間同じ苦しみの中にいたり、辛い状態が継続してしまうと、そこから抜け出たくないという「しがみつき」を起こすことになるのです。

愛着やしがみつきが強いと、どうみても自然の流れに乗れてない状況を生み出すことになり、存在に逆らって生きることになるので、非常に生き辛くなるはずです。

去っていったもの、そして、やってきたものは、ただあるがままに受け入れること。これがすべての滞りから抜け出す最も優れた生き方なのだと思うのです。

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