真の理解とは気づくこと

もし本当に理解したら

ものごとは落ちてゆくものだ

そしてそのときにはあなたは

自分がそれを落としたのだという手柄を誇ることはできない

それはひとりでに落ちたのだ

あなたが落としたんじゃない

自我はそれを通じて強められたりしない

by osho

理解というと、私たちは大抵思考、つまり考えることを通して何かを理解するというように捉えています。

けれども、真の理解というのは思考によるものではありません。それは、実は思考とは無縁の「気づき」のことなのです。

最初は思考による理解があっていいのですが、その理解を繰り返し深めていくことで、ある時ふとそれが腑に落ちるときがやってくるのです。

それこそが本当の理解、つまり「気づく」ことなのです。この気づきは自分の力で得るというよりも、結果として向こうからやってくるという感覚です。

だから自我は、その気づきを自分の手柄にはできるはずがないのです。では気づきによって物事は落ちて行くとはどういうことでしょうか?

自動的に落ちてゆくもの、それは執着であるとか欲望であるとかです。つまり、自我が自己の存在をかけて守ろうとするもの。

そして最後の最後に気づくもの、それこそが自己の本質なのですね。