自我は孤独、全体性は単独

もしあなたが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう–。あなたの行動はすべてみな、ひとつの原因に帰着しうる。その原因とは、あなたが孤独を恐れているということだ。その他のことはすべて口実にすぎない。ほんとうの理由は、あなたが自分はひじょうに孤独だと気づいているということだ。

by osho

孤独は自我にとっての根源的なものです。自我という思考は、自分とは外側の世界とは隔たった独立した存在だという思い込みでできているのです。

つまりは自分以外のいかなる存在とも交わることができないということ。肌と肌をくっつけることはできても、それよりも深く一つになることはできません。

それが孤独を意味するのです。それを避けようとして、自我はあらゆる手段を使って防衛するのです。

誰かと一緒にいれば、孤独をごまかすことができるので、家族、友人、恋人、それ以外の誰であれ、上手に利用して孤独から解放されようとするのです。

けれども、孤独を癒すことは原理的に不可能なこと。まずはそのことをしっかり理解することです。

孤独ではないと感じている人がいるのは事実ですが、それは孤独から目を背けていることに成功しているに過ぎないのです。

孤独感に苛まれているとしても、そのことを恥じないこと。それは単に孤独に気づいているだけだと受け止めるのです。

地球上のすべての人々が同じだけの孤独を持っているという事実を思い出し、孤独から逃げずにいることです。

自分は孤独なのではなく、単独だということに気づくなら、それと同時に自我も小さくなっていくはずです。

“自我は孤独、全体性は単独” への2件の返信

  1. 孤独を単独に置き換えると
    とくに感情を伴わないでいられますね。

    孤独は、押し付けられてやむなくそんな状態に陥ってしまったり、また、自分の落ち度が招いた結果なのかなと、自責の念などもあったり。

    なのに
    単独と思うとガラリと世界が変わり、
    生き物とはそうゆう造りだから。
    自然や宇宙には反論できない。
    いっそ気持ちいい。

    言葉を変えるだけで憑き物が落ちる感じです。

    でも本当は個人ではない…
    と、よくおっしゃっていますよね。

    個人じゃない事、と、単独と。

    そこがつながらない。。。

    1. ここで言う単独とは、不二のことです。不二とは、二のない一のこと。一つ、二つと数えることのできない一のことです。唯一ということです。つまり全体ということなので、孤独になることは不可能なのです。いつか腑に落ちるときがくると思います。

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