この世界、この宇宙で最も真理から遠ざかっているものといえば、それは自我なのです。
真理に近づくためには、無為(非行為)、無努力、無防備、無秩序、無目的、無関心、無念、無想…。
つまりは「無」がつくもの、こういったものと共にあることが必要なのです。自我にとっては、この「無」というのは思考を排除するものなので苦手なのです。
そのため、自我が一番真理から遠いところにいるというわけです。自我の興味は、防衛、安心、依存、苦しみ、競争、戦い、自立、成功…など。
結局自我が好むどれをとっても思考がそのベースにあるということがわかりますね。だから瞑想も苦手なのです。
けれども、例外もあって瞑想や「無」を好む自我もあります。自我というのは、非常にずる賢いので、自分は自我ではないと思い込むこともできるのです。
そうなると、だれよりも瞑想が上手になろうとしてみたり、「無」を素晴らしいと感じたりすることもできるのです。そうなると手強い自我になってしまいます。
そんな自我の中でも、敢えて言えばほんの少しでも真理に近いものは、自分は立派な自我なのだということを自覚している自我なのでしょうね。