「求めよ、さらば与えられん。」という言葉がありますね。聖書の中の言葉だろうことは知っていますが、その真意は私は知りません。
ただ一般論としては、強く求めれば必ず願い事は叶うもの…のような感じで受け取られていると思います。
そうだとしたら、一言言いたいのです。それは、求めるということは自我の習性だということ。
つまり、求めて求めてそれを手に入れるということを繰り返す人生であれば、それは完全に自我に乗っ取られた人生だと言えるのです。
なぜ繰り返すかというと、求めた結果手に入ったにもかかわらず、満ち足りるということがないと気づいてしまうからです。
自我が求めて手に入れたものというのは、この世では価値のあるものかもしれませんが、どれもこれも一過性のものなのです。
いつかは消え失せてしまうのです。真実はそこにはありません。本能として赤子がお乳を求めるのは自然の摂理ですが、心理的なものは自我のものなのです。
真に大切なものは、必ず向こうからやってくるものです。それを待つことができれば、そのときには本当に満たされることになるはずなのです。
そして私たちにできることは、待つ間にやってくるものに気付くための準備をすることです。それが意識的であるということですね。