どんな重荷も責任もない

人は毎日の生活の中に飲み込まれてしまうと、自分の内側を見るということを忘れてしまうのです。

そうして、人生とは思考が作り上げた仮想的なものだということ、単なる物語だということを感じる余裕がなくなってしまうのです。

そうなると、間違いなく深刻さというものがやってきて、それにも飲み込まれてしまい、そのことに気づけなくなるのです。

思考が止まることがなくなって、常に何かを考えることで自己防衛を継続してしまうことになるのです。

こうしたことは、自分が人生の舵取りをしているという誤解からやってきます。自分がすべてのやり手だという思い違い。

歴史上の多くの賢者が共通して伝えてきたことは、あなたは成し手ではないということです。誰も行為者ではないということ。

すべては全体性の中で起きることが淡々と起きつつあるだけだということを思い出すことです。

その感覚を思い出せたなら、どんな責任も重荷も本当は何もないということに気付くはずですね。