宗教を必要とするのは自我

人類の歴史を見てみればすぐに分かることですが、それは宗教と戦争の歴史なのです。戦争で絶望することによって、宗教に救いを求めるわけです。

どの宗教も始まりは素晴らしいものでした。人間を真理に向かわせようとするものは、ホンモノだと言えます。

ところが、弟子のまた弟子のそのまた弟子の代あたりから、何やらおかしくなり出して、気づいたときには人を操る醜悪なものへと変化してしまうのです。

宗教が組織化された段階で、それはもう宗教ではなくなってしまうのです。自我が他の自我をコントロールするための手段として使われるようになるのです。

人とはこうあるべき、のような教えをするような宗教は、どれほど信者が多くてもまったく真理から程遠いものです。

自我の存在を前提とするもの、死んだら天国に行けるとか、人格を磨くなどの教えは自我にとっては都合がいいのでしょうけれど…。

個々人が自らの本質に気づくようにするものだけが、ホンモノの宗教だと思えば間違いないのでしょうね。

だとすると、数多く存在するどんな宗教も必要ないのです。真理は自分の内側深くを見つめることで探し出すことができるからです。