期待さえしなければ

何度かこのブログで書いてきたことですが、惨めさというのは期待と現実との落差によって起きるものなのです。

いつも80点取ってる人は、自然と次も80点くらいは取れるはずと期待するのですが、結果が50点であったなら、惨めな感じがするのです。

一方で、いつも20点しか取れなかった人が50点取れたなら、嬉しく思うことはあっても、決して惨めな気持ちになることはないのです。

そのくらい、その人にとっての期待値というのは大きく惨めさと関連するのです。もっと言えば、もしもどんな期待もなければ惨めさからは解放されてしまいます。

ところで、心が傷つくという場合についてはどうでしょう?どんなとき、心が傷ついた、あるいは傷つけられたと感じるかを見てみるのです。

すると、惨めさとほとんど違いがないということに気付くはず。愛されるはずだと思っている人が、愛されていないとわかったとき、傷つくのです。

一方で、自分は愛されるはずなんかないと思っていた人は、やっぱり愛されていないと分かっても傷つくことはありません。

傷つくことと惨めさには違いがないのです。どちらも期待と現実の差異、落差によって引き起こされるのです。

もう二度と傷つきたくないと思うなら、もう惨めな体験はごめんだと思うなら、自分が持っている周囲への期待をドブに捨てること。

もしもそれが難しいなら、期待している自分を探し出して、その存在を常に見守ってあげることです。そのことで、期待するエネルギーは小さくなっていくはずです。