知覚しているものがすべて

私たちは普段、客観的事実というものを共有しているのです。自分が知っているものは他の人も知っていると思っているのです。

たとえば、自分は日本人で日本に住んでいるけれど、地球の裏側にはアメリカという国があるということを他の人と共有しているのです。

地球が丸いことや、渋谷駅周辺が賑わっていることなどを、みんなで共有していて、それが事実(真実)だと思っています。

家の外にはこういう道が最寄りの駅まで続いていて、そこから電車に乗ればあちこちと行くことができると。

けれども、自分がその瞬間知覚していない事柄というのは、実際には誰とも共有していないどころか、自分にとっても不確定なのです。

防衛が強くなると、思考によって知覚しないあらゆる事柄が現実であるかのような錯覚をしてしまうので、遠いどこかに想いを馳せることも可能です。

その一方で、思考から距離をとることができると、目の前で起きていることだけが興味の対象となるのです。なぜなら、それ以外は不在だからです。

在るものとは、今この瞬間にあなたが知覚しているものです。それ以外のすべては幻なのですね。