絶望が真理へと向かわせる

「絶望」という言葉を聞くと、無邪気な子供の頃よりも社会人として頑張っている大人の方に相応しい気がします。

社会人として生きるということは、なかなか大変なことだからですね。けれども、本当のところはどうでしょうか?

これは私の個人的な思いですが、大人になってからよりもむしろ子供の頃の方がたくさん絶望をしてきたのではないかと感じるのです。

大人よりも自覚が薄いということと、過去のことなので記憶が曖昧になってはっきり覚えていないかもしれませんが、子供は密かに絶望しているのです。

なぜなら無邪気に自然な生き方を当たり前のようにしつつも、周囲にいる家族という自我によって防衛しなければ生きていけないと知ることになるからです。

それはあまりにも辛く惨めで、こんなはずではなかったとどこかで思うのですが、そんな余裕すらないままに自我の世界へと引きずりこまれるのです。

それで絶望しないでいられるはずはないのです。子供は絶望して自我に迎合することを覚え、逞しく生きようとします。

その一方で、大人になってやってくる絶望こそ救われるチャンスなのです。なぜなら、もう迎合するものもなく、残るは真理へと向かうのみとなるからです。