科学というのは、迷信や誰かの一方的な主張などとは違い、論理的に導きだされた理論を実験という手段で証明していくものですね。
つまり科学的な正しさとは、客観的な正しさがあらゆる実験によって検証されたものだということです。
実際、一つの理論が発表されると、世界中の大勢の科学者たちがこぞって様々な実験を考案して、その結果として理論の正しさ(あるいは間違い)を裏付けようとするのです。
そうして十分に吟味された実験方法、実験手段を用いて得られた実験結果こそが、客観的な事実を証明したことになるのです。
有名なネイチャー誌などに公表された論文などは、そういう意味では物凄く権威があって、その結果を誰もが信じることになるのです。
ところが、そうした論文の多く(8割程度も)は何年かすると、その間違いが発見されたりしているそうなのです。
ここからは私の勝手な考え方ではあるのですが、単に実験方法が未熟だったということではなく、何かしらの違う要因が働いているのではないかと感じるのです。
それは実験者の思考ではないかと思うのです。似たような実験をしたとしても、実験者の思考エネルギーが全く異なる場合には、それに応じて異なる結果がでてしまうのではないかと。
こうしたことがほんの少しでもあり得るとするなら、科学はこの先行き詰まる可能性もあるということになります。
たとえば身近な例をあげれば、人体の健康にとって良い食べ物とは?ということでも、科学的な検証によって大雑把なことは確かに分かるのです。
けれども、食べ物を摂取する人の思考エネルギーによって、何が良くて何が悪いかということは充分に変わる可能性があるということです。
あなたの思考があなたの人生に与える影響がどれほどのものか、そのことを一度よく考えてみるのは決して無駄なことではないはずですね。