不安と闘うことで生きる自我

自我というのは、常に安心を求めて生きているのです。なぜなら、自分の根っこにはどうにも払拭し得ない不安がデンとあるからです。

だからいつも自己防衛に熱中しているのです。防衛することで不安を安心に変えようとするからです。「自我=防衛」と私が呼ぶのはそのためです。

ところがです。その一方では、不安がなくなってしまうことを物凄く恐れてもいるのです。これは自覚できないのが普通です。

高齢の母親は、世界で一番するべきことが何もない、非常に安泰な状態で生活しているにもかかわらず、時々どうしたらいい?という感じでプチパニックになります。

その様子を見ていると、不安を探して見つからないので、無理矢理でも自分を騙してなんとか不安をでっちあげるということをしているのが透けて見えるのです。

真に安心してしまうと、自我は生きていけないのです。安心の中で、緩んで溶けていってしまうのです。それがとても怖いのでしょう。

だからはっきりさせる必要があるのですが、あなたという自我はいつも不安から逃れて安心したいと願っているのですが、その裏では本当に不安が消えてしまうことを死ぬほど恐れてもいるということ。

この絶妙なバランスの間で、自我は存続しようとしているのです。このバカバカしさを深く理解して、その右往左往ぶりを見守ってあげることですね。 

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