トラウマから目を逸らす防衛

世界で唯一の被爆国である日本、その教訓を生かして非核三原則というものをかつて作ったわけですね。

核を持たない、作らない、持ち込まない、なるほどとは思うのですが、この原則について議論してはいけないというのが今までの日本の大勢でした。

けれども、議論もしてはいけないというのは、私に言わせれば思考停止状態ということですね。

被爆者やそのご家族のことを考えたら、どんな理由があろうと核爆弾を話題にするのも失礼だと感じるのでしょう。

たとえば、あなたの大切な人がナイフで刺殺されたとしたら、そのトラウマからナイフそのものの存在を否定したくなるのは理解できます。

けれども、もしもあなたの愛する人たちが現実にナイフで殺されそうになっていたとしたら、それでもナイフのことを忘れていられるかを考える必要があります。

もしもあなたが忌み嫌っているナイフを持っていることを犯人に分からせることができたら、愛する人をその殺人犯から守ってあげられるかもしれません。

つまり武器というのは抑止力になるということを忘れてはいけないのです。残念ながら、この辺りが今の人類のレベルなのです。

ナイフを持っている人を説得できれば一番いいのですが、それができなければトラウマを超えてあなたがナイフを持つ勇気が必要なのです。

現在の人類のレベルは、国家間の話し合いが有効になるためには、バックに武力の均衡が保たれている必要があるということです。

タブーというのは議論すら否定する傾向にあるのですが、それはトラウマから目を逸らす防衛だと理解することですね。