心が病むとは?

ブッダの言う中道という生き方とは、ちょうど真ん中、極端とその真反対の極端との中間であることを指します。

絵に描いたような善人でも悪人でもない、正しくも間違ってもない、美しくも醜くもない、ということです。

もしくは、そのペアの両方を含むという言い方もできます。私たちのマインドには、必ず両方が含まれています。なぜならマインドは分裂しているからです。

善人の部分もあれば、悪人(罪人)の部分もあり、正しい部分もあれば間違った部分もあり、美しい考えもあれば醜い考えも持っています。

そして、心が病むというのはどういう現象かというと、上記のようなあらゆるペアの両方が、互いに大きく分裂することなのです。

弥治郎べえの腕の長さが長くなればなるほど、弥治郎べいの揺れ方がゆっくりかつ大きくなるのですが、それが病みの大きさと同じなのです。

腕が長くなると、それだけマインド内での分裂の度合いが大きくなり、どちらかに偏っている時間が長くなってしまうのです。

片方が表面化すると同時に、もう片方が陰に隠されてしまうのです。例えば、年中良い人を演じていると、悪い人が隠されていつかは爆発してしまいます。

癒しを進めていくことで、マインド内の分裂が小さくなってゆき、弥治郎べえの揺れ方が短く小さくなっていくように、心のバランスが取れるようになるのです。

そうして究極の状態とは、弥治郎べえの腕の長さがゼロになって、もう左右に揺れることがなくなり、マインドも消えていくことになるのです。

それがブッダのいう中道であり、あるいはそれを覚醒と呼ぶのです。