選択肢があるように見えるだけ

osho の言葉で次のようなものがあります。

『悟りは、あなたのすぐ目の前にある。 選り好みをしたら、あなたはそれを逃してしまうだろう。というのも選り好みをするということは、心がはいり込んだということだからだ。選択というのは心なのだ「私はこれを選び、あれは選ばない」と言うときあなたはすでに世界をふたつに分けている。』

なるほど、選択が心(マインド)を活性化してしまうということですね。けれども、一切選択せずに生きていくなど想像もできません。

朝起きたら、今日の朝食は何にしようか、から始まってどの服を着て行こうか、どの仕事を先に済まそうか、誰と何を話すか等々。

考えたら1日のうちのほとんどは選択し続けていることに気づきます。人生とは選択の連続で出来ているとも言えますね。

選択をしないというのはどういうことなのでしょうか?これは私なりに思うことなのですが、人間には自由意志がないということを思い出すのです。

選択することが問題なのではなく、自分が選択していると思い込むことが自我から抜け出せない本当の理由なのだと思うのです。

私のことで言えば、今日のブログは何を書こうか、これにしようと決意するのも一つの選択だと言えますね。

けれども、それは選択ではなくそのように現象が起きているというように見ることもできるのです。

それは決して選択ではありません。無数の選択肢がある中からたった一つが選ばれたと見ることはできますが、そうではないと気付けばいいのです。

この見方をするだけで、人生から選択が消え失せていくはずです。私がまだ覚醒していないのは、私の自我が自分が選択したという手柄を手放せずにいるからでしょうね。