マインドは思考によって惨めだという思いを作ることができます。もちろんそれは単なる思考なので、事実ではありません。
けれども、その惨めだという思いによって、人は途方もなく傷つくことになるのです。それが耐え難いために、その惨めさを認めようとしないこともあるのです。
惨めさを隠す手っ取り早い防衛方法は、怒りという感情を生み出してそれで惨めだという思いに蓋をするのです。
つまり怒りというのは、惨めさを隠すものとして機能するということ。このことは、このブログでも何度も繰り返しお伝えして来ています。
更にこうした惨めさが繰り返されることで、怒りだらけになると共に、怒りという感情と思考をくっつけることで、憎しみや復讐心を作り出すのです。
こうなってしまうと、怒りをただの怒りとして味わって解放するということが、なかなか難しくなってしまうのです。
今起きている壮絶なロシアによるウクライナへの侵略も、ロシア民族あるいはプーチン大統領の復讐心によるところが大きいのでしょうね。
一度純粋な怒りを憎しみや復讐心へと歪曲させてしまうと、そのエネルギーは世代を超えて何百年単位で継続することになるかもしれません。
まさにそれが人類の絶えざる戦争の歴史を作り出して来たとも言えるのではないでしょうか。
惨めという思考と怒りという感情の癒着を解くためには、思考を見て、感情を味わうという方法が一番なのです。
それができれば、未来に向けて憎しみや復讐心を伝搬せずに済むのですが、それを個人個人でやっていく必要があるので、絶望気味になるのは私だけではないはずです。